35mm

子どもが小さかった頃はよくフィルムカメラで撮っていたけど最近はほぼ使う機会がなかった。我が家にインコがきてからリビングに集まる事が増えたのでたまには日常を撮ってみようかなとカメラにフィルムを入れてみた。デジタルのシャッター音とは違い、シャッターが切れるときに持ち手に振動が僅かに伝わってくるのが懐かしくて枚数に限りがあるにもかかわらず撮りまくる。
せっかくなのでバイクも撮りたいなと思っているけど撮らずに終わってしまいそうな予感。
もう親バカです

私たちのうり

ご縁があり我が家にセキセイインコを迎えた。
食卓で名前は何にしようかねと家族で考え「うり」と命名。
響きが好きだったのと、娘が韓国語で「私たちの」という意味だよと教えてくれてそれに決めた。
初めて指に乗せたとき体温を感じ、一気に可愛さが増した。娘が産まれて初めて抱っこした時と同じ感覚。久しぶりに一眼レフカメラを取り出してパシャ。
もう君は家族の一員ですよ。

冬の空

冬生まれなのに冬は寒いから嫌いだ。
けど、冬の空は空気が澄んでいるから好き。実のところ寒いのが苦手なだけ。
横須賀に住むようになってからはよく海と空を見に行くようになった。娘も同じで、今日は天気が良いから夕焼けが綺麗に見えそうだけど海まで行くかと聞くと大概行くと言う。何をするでもない。ただ陽が沈むのを見て、気が済んだら帰る。
そんな何でもない日常だけはなくならないでほしい。

影響力

小学3年生の頃、担任の先生がずーっと飼っている金魚の飼育係を任された。当時30センチくらいあった金魚。
何かを任されたのがこの時初めてだったのと大好きな先生だったから責任持って金魚の世話をした。水槽の苔取りから水替え、餌やり。とにかくできることは何でもやった。
それから数年後、休み時間に当時の担任の先生に呼ばれて「金魚が死んじゃった。何かを遺してあげたいから魚拓の作り方を教えて欲しい。お前魚好きだっただろ?」
先生と一緒に魚拓を2枚取ってその1枚をもらった。
僕も先生みたいな先生になりたい。そう思いのちに教員を目指した。
紆余曲折あり結局教員免許取得まではいかなかったが先生みたいな大人になろうって今でも思っている。いつも大人が正しいとは限らない。間違いは認める。当たり前だけど当たり前が出来ない大人はたくさんいるので僕はそうならないように常に気をつけている。

矢口高雄先生

昨日、矢口高雄先生の訃報に自分でもどうしていいかわからないくらい気持ちがどこかに行ってしまった。
子どもの頃から矢口先生の漫画が好きでよく真似して描いていた。
いつか僕も釣りキチ三平の作者のように絵が上手くなりたい。そう思っていた。大人になってもそこは変わらない。そして今も。
あれはまだイラストレーターを目指す前の頃、初めてファンレターを送った。
数日後、なんと先生からお返事のお便りを頂いたのだ。嬉しくていつも手帳に挟んで、友達に自慢もした。
矢口先生は30歳で銀行員を辞めて漫画家を目指す。僕もかなりの遅咲きイラストレーターだが、「皆が寝ている間が伸びるんだよ、努力を惜しまないこと」という言葉があったからやってこれた。その後も幾度となく先生に手紙を書き様々な事を報告した。
展示会に小学生の娘と行った時、撮影禁止だっただろうに娘が持っていたカメラを見て、一緒に写真を撮ろうと言ってくださった。その節はありがとうございました。そんな娘も高校生。大きくなりましたよ、生意気だけど。
僕の目標はいつでもこれからも矢口高雄先生。大丈夫。だって先生に教えてもらってからずーっと同じ絵の具使ってるんだぜ。っていつも自分に言い聞かせている。
矢口先生、ありがとうございました。